スクール水着から考えるジェンダー

「ジェンダーレス水着」男女同じデザインのスクール水着を

少しずつ夏が近づいています。

夏本番ではない時ほど、熱中症等には注意が必要です。皆様どうぞお気をつけください。

さて、夏といえばプール…。

先日NHKで、ジェンダーレス水着の開発・販売がようやく始まったというニュースが流れていました。

紹介されていたのは、上下に分かれ、体の露出を減らしたデザイン。

もう少し洗練されたデザインの方が良い気もしますが、それにしても、どうして学校現場は「ジェンダーレス水着」をデフォルトとしないのかと常々思っています。制服等でも同じことが言えると思います。

何も、ジェンダーレス水着や制服を強制せよと述べているのでありません。選択肢を拡大せよと言いたいのです。男子だからこれ、女子だからこれ、というのは、まさにgender biasの最たるものだと思うからです。

日本のgender biasは至る所にあります。保育園や幼稚園では男の子と女の子とがペアになってお散歩することが多いし、学校教育では男女が隣になって座るのが今も普通に行われているのではないでしょうか。

別に普通じゃないかと思われるかもしれませんが、普通ではありません。少なくとも私が過去にいた英米豪では、こんな「強制」はありませんでしたし、日本のような露出の多いスクール水着の「強制」は英米では完全NGだと思います。

こうした些細な(と思われる)ことが、「自分は男、自分は女」、「男はこうあるべき、女はこうあるべき」という固定観念を徐々に植え付ける可能性があり、教育上もこのようなbiasを与えるものは避けるべきだという考えが共有されているからだと思います。

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」(『第二の性』(‘Le Deuxième Sexe’)、1949年)。ボーヴォワールがそう記してからもう50年以上経過しました。

日本では昨今、ジェンダーやLGBTQについて様々な議論や記事が見られ、関心が向けられるようになってきました。しかし、水着問題一つとっても、その問題意識はまだまだ社会に根付いていないし、道のりはまだ遠いなと思う今日この頃です。

(矢野)

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